サラブレッド繁殖スタッフ_奈良  拓生さん
インタビュー公開日:2025.07.22

競走馬を育成する牧場で、繁殖を担当。
出産に立ち会った馬が疾走する姿に感動。
「オーナー(馬主)さまの仔馬をお預かりして見守り、ケアをするベビーシッターであり、ふるまいや人との関わりを教える幼稚園の先生でもあり、馬房(ばぼう、※1)を掃除したり寝藁を替える作業はホテルスタッフのよう。そう考えると、おもしろい仕事だと思えます」
やさしそうな笑顔でそう話すのは、『坂東牧場』の奈良拓生さん。そんな、いくつもの役割を担いながら奈良さんが世話をしているのは、JRA(日本中央競馬会)が開催する中央競馬や、地方自治体などが主催する地方競馬で走るサラブレッドたち。
坂東牧場では、競走馬の繁殖から育成、トレーニングまでを一貫して手がけており、奈良さんが担当しているのはその中の繁殖部門です。
「繁殖やトレーニングだけに特化した牧場もありますが、ここでは、産まれた時から触れていた馬が力をつけ、最短で2年後にはレースで走る姿までを見ることができるんです。入社して初めて出産に立ち会った馬が、競馬場で疾走する姿を見たときは、本当に感動しました」
すっかり、りりしい姿になり、たてがみをなびかせて駆け抜ける姿を見ると、『よくぞ無事に育ち、しっかり成長した』と、今度は実の親のような気持ちにもなるのだそうです。
※1 厩舎(きゅうしゃ)のなかにある馬の個室
産まれた仔馬の子育てを見守りつつ、
触れながら人に慣れさせる大切な時期。
繁殖部門の仕事のサイクルは、母親となる牝馬を種牡馬(しゅぼば=父馬)のところへと連れて行き、交配させることから始まります。坂東牧場では年間40〜50頭の仔馬が産まれます。出産シーズンは毎年1月から5月頃。仔馬が産まれると間もなく、翌シーズンに向けた交配を行うため、この時期は24時間体制で親子の馬を支えていくのだと奈良さん。
「夜勤専門のスタッフもいるので、交代夜勤は月1回ほどですが、出産はいつ始まるかわからず、常に緊張感があります。出産が一巡すると、ようやくひと息つける感じです」
出産から半年ほど母親と過ごした仔馬は、トレーニング(調教)に向けた基礎体力づくりや、人との信頼関係を築く馴致(じゅんち)を行う部門に移りますが、実は最も重要なのが、その前の段階なのだそうです。
「子育ては基本的に見守り、必要に応じて手助けする程度ですが、この時期は初めて会う『人』に慣れさせる大切な期間なんです。手入れをしながら、たくさん体に触れ、人がいつもそばにいる環境に馴染ませていくんです」
毎日、スキンシップを図っていると仔馬は、人の言うことを聞いてくれるようになるのだとか。どんなに元気な馬でも、人の言うことを聞かなければ、そもそも乗ることもできない。「そこを担うのが繁殖の仕事」と力を込めます。
先輩に誘われて出かけた日本ダービー。
10万人の歓声が響く熱気に取りつかれて。
東京優駿。日本ダービーと言えば聞いたことがあるでしょうか。このレースを制することは競馬界最高の栄誉とされています。毎年5月末、東京競馬場(府中市)の芝コース2,400mで3歳馬18頭が駿足を競い合う。奈良さんがこの舞台を初めて訪れたのは、2018年、20歳のとき。
「競馬好きの先輩から、誘われたのがきっかけです。そして、軽い気持ちで足を踏み入れたこの日が、今につながる自分の原点となりました。場内は、とにかく人、人、人。10万人もの観客がレースを見守る、とんでもない熱気。歓声を背に、18頭が駆けていくのを目撃し、その強烈な魅力に取りつかれたんです」
競馬場の雰囲気、躍動する馬の姿、ジョッキー(騎手)の手綱さばき。そのすべてに魅せられたという奈良さん。就職を考える時期を迎えた時、「競馬に関わる仕事」を考えたのも自然なことだったそうです。競走馬が誕生し、レースに出るまでの仕組みに興味が湧き、求人情報で目にした坂東牧場に即、連絡しました。
「とはいえ、競馬については初心者で馬に乗ったこともありません。すると、『まず、見学に来てみない?』と、言っていただいて。それで興味が深まり、2週間のインターンシップを経て入社を決めました」
思い立ったら行動する一方で、事前に仕事や環境をよく見るなど、冷静な面も持ち合わせています。
体力づくりの夜間放牧。
一頭一頭のようす、表情を見守る。
「初夏以降は、基礎的な体力をつけていく時期。その一環として行っているのが放牧です。今頃(7月上旬)は、夜の間じゅう、放牧をしています。長い時間、外で動き回らせることで体をつくっていくんです。厩舎のスタッフ全員で、常に、仔馬のようすを見守っています」
この時期は朝、出勤すると夜間放牧の仔馬を集牧(しゅうぼく、※2)し、餌を与えますが、『遊んで外から帰ってくる』時のようすをよく観察します。歩き方はもちろん、ケガをしていないかなどをチェック。お腹が痛くて、芝の上でゴロゴロ転がっている馬を見逃すと命に関わることもあるのだそうです。
「仔馬の行動を見て異変を察知するのは、経験を重ねなければなかなかわかりません。『こういう動きしているから、こんな状態なのではないか』と場数をこなすほど、理解が深まっていきます。そうした知識が増えていくことも、この仕事の魅力だと感じています」
馬の状態は『表情』にも現れるのだとか。仔馬が亡くなった時、数日間、悲しそうな表情をしていた母馬がいたそうです。普段は人間に対して気の強い馬だっただけに、その変化が印象に残ったと奈良さん。言葉は通じないけれど、一頭一頭異なる表情や心がある。それを理解することが難しくもあり、同時に競走馬に触れている醍醐味なのだと話します。
※2 放牧している馬を馬房に戻すこと
無事に競走馬になれるだけでうれしい。
最初に関わり将来に影響を与える責任。
仔馬には素直な子もいればちょっとやんちゃな子もおり、特定の人と合う、合わないという相性もあるそうです。人間の子どものようです。
「だからこそ、接し方には気を使います。人を噛むなど悪いことをすれば即座に叱ります。時間をおくと、なぜ叱られているかわからず、人間を怖い存在だと思ってしまいますから」
出産時に亡くなったり、ケガで命を落としたり。競走馬になれること自体が、そもそも難しいのだと、ポツリと語ります。どの仔も無事に送り出したい。スタッフは皆、その一心で世話をしているのだそうです。
「競馬場のスタートラインに立ってくれた時点で、大きな喜び。勝つか負けるか以前に、走っている姿を見られるだけで幸せです」
近くにある門別競馬場には仕事終わりにナイターのレースに足を運び、牧場出身の馬を応援するという奈良さん。いつしか「親戚のおじさん気分」と笑います。
「『情』で買った馬券は当たらない、というジンクスがありますが、応援の気持ちを込めて馬券も購入します」
仔馬が最初に関わりをもつのは自分。その接し方が、競走馬としての将来に影響を与える。そんな責任と、壮大な夢を託せる仕事。そう話す奈良さんが世話をした馬が、G1レース(※3)を制する日も、そう遠くないかもしれません。
※3 日本ダービー、有馬記念、天皇賞など競馬における最高ランクのグレード(格付け)がついたレース
シゴトのフカボリ
サラブレッド繁殖スタッフの一日
5:00
出勤、厩舎にいる馬の検温、餌やり
6:00
馬を放牧に出し、自分の朝食・休憩
7:00
馬房・厩舎まわりの掃除、餌づくり
11:00
昼休憩
13:30
集牧、馬体チェック、治療など
16:00
退勤
*夜間放牧が始まる前の時期のスケジュール例。夜間にお産の手伝いがあることも。

シゴトのフカボリ
拝見!オシゴトの道具

引き手
馬を引いて歩く時に使うロープ。馬の世話をするために、なくてはならない道具です。特別なものではありませんが、入社時、会社に買ってもらった、手に馴染んだものを使っています。
シゴトのフカボリ
みなさんへ伝えたいこと

日本ダービーをきっかけに競馬に興味を抱き、生産現場までやって来たのは、今思えば挑戦でしたし、自分の将来が開けました。失敗を恐れず、チャレンジすることが自分のチャンスになることもあると実感しています。

有限会社坂東牧場

1950年に競走馬の預託・繁殖をスタート。'72年に法人化し、繁殖・育成・トレーニングを一貫して手がけ、全天候型のコースによる育成を行っています。

住所
北海道沙流郡日高町字福満85-1
TEL
01456-2-1545
URL
https://www.bando-farm.co.jp

お仕事データ

競走馬と共に夢を追いかける
競走馬生産・育成スタッフ
競走馬生産・育成スタッフとは?
未来のサラブレッドを育て、
夢と感動を生み出す仕事。

競走馬生産・育成スタッフは、競馬場で活躍するサラブレッドを生産し、育成する専門職です。牧場で種牡馬と繁殖牝馬の交配から始まり、妊娠中の母馬の健康管理、子馬の出産立会い、生まれた子馬の日常的な世話と調教まで、競走馬の一生に深く関わります。具体的には、馬の餌やり、牧場での放牧管理、健康チェック、蹄の手入れ、基本的な騎乗訓練などを行います。また、獣医師と連携して病気の予防や治療にも携わり、馬の血統管理や記録作成も重要な業務です。自分が手塩にかけて育てた馬が競馬場で勝利を収めた時の喜びは格別で、多くの競馬ファンに感動を届ける、やりがいに満ちた仕事です。

競走馬生産・育成スタッフに向いてる人って?
動物が好きで体力があり、
地道な作業を続けられる人。

何より馬が好きで、動物と接することに喜びを感じる人に向いています。馬は大型の動物なので、ある程度の体力と、馬に対して恐怖心を持たずに接することができる人が良いでしょう。馬の世話は毎日欠かせない地道な作業の連続ですが、その積み重ねが馬の成長につながることを理解し、コツコツ取り組める人が求められます。また、馬の小さな体調変化にも気づける観察力があると重宝されます。早朝や夜間の作業もあるため、不規則な勤務時間でも頑張れる人や、チームで協力して仕事を進められるコミュニケーション能力も大切です。競馬や馬に関する知識は働きながら身に付けることができるので、最初は「馬が好き」という気持ちがあれば十分です。

競走馬生産・育成スタッフになるためには

必須資格はありませんが、馬に関する知識や技術を学べる専門学校や大学の畜産学科で学ぶと有利です。また、競馬学校や乗馬クラブでの研修プログラムに参加する方法もあります。多くの場合、牧場に就職して実務経験を積みながらスキルを身に付けていきます。北海道の日高地方や十勝地方には多くの競走馬牧場があり、募集も比較的多く出ています。未経験者歓迎の牧場も多いので、まずはアルバイトや研修生として働き始める人も少なくありません。馬の扱いに慣れてきたら、「認定装蹄師」や「家畜人工授精師」などの専門資格を取得することで、より専門性の高い業務に携わることができるようになります。

ワンポイントアドバイス
競走馬以外にも、
活躍の場が広がっています。

競走馬の生産・育成で培った技術は、乗馬クラブでの乗用馬の管理や、観光牧場でのポニーの世話、さらには動物園での馬の飼育など、様々な分野で活用できます。また、最近では馬を使った療法(ホースセラピー)や、馬とのふれあいを通じた教育プログラムなど、新しい分野も注目されています。競走馬業界で経験を積んだ後、独立して自分の牧場を開く人や、海外の牧場で働く人もいます。馬に関わる仕事は思っているより幅広く、一度身に付けた技術は長く活かすことができる魅力的な職業です。競馬ファンでなくても、動物好きなら十分にやりがいを見つけられる仕事と言えるでしょう。