本間 翔大さん
インタビュー公開日:2024.12.04

寿司店の現場にいるだけで楽しい。
ネタの仕込みにも少しずつ携わる。
1971年に札幌・すすきので開業し、現在は北海道神宮からほど近い円山に本店を構える「すし善」。札幌を代表する江戸前寿司で、各界を代表する人たちにも愛される名店です。本間翔大さんは、まさにその本店で、一流の寿司職人を目指し、鍛錬を積んでいます。
「今は、この寿司店の現場にいるだけで楽しいんです。何をしていても、それが全部、成長につながっているという実感があり、やればやるだけ、できるようになることも楽しいですね」
短く切り揃えた頭に和帽子(調理帽)を乗せたその姿は、入社3年目にしてすでに〝板前さん〟の風貌。キリリとしたたたずまいに、少し照れくさそうな笑顔が印象的です。
「最近は、ネタの仕込みもかなり任せていただけるようになりました。先輩の指導を受けながら、厨房内で少しずつ握らせてもらっているんです」
そう言って、うれしそうな表情を浮かべる本間さん。小さい頃から、入りたいと思っていた食の世界。そのなかでも、和食の極みともいえる寿司づくりに関わっているという充実感が伝わってくるようです。
インターンシップで触れた店構え、
ベテラン職人の姿に憧れを持つ。
料理人である父親の姿を見て、小学校の頃から将来は自分も料理をつくりたいと思うようになったという本間さん。大変な世界であることも聞かされていたそうですが、高校生になっても、その思いはかわかりませんでした。
「高校2年生までは、調理の専門学校に進学しようと思っていました。そこで料理を一から学ぼうと考えたのですが、〝食の分野に興味があるなら、こういうところがあるぞ〟と、担任の先生から今の職場であるすし善を紹介され、気持ちが動きました」
その担任の先生は、すし善で働く先輩の担任でもありました。そのため、伝え聞いている職場のようすなども教えてくれたのだそうです。関心を抱いた本間さんは、店舗で開かれたインターンシップに参加します。
「それまでは、料理人といってもジャンルなどは考えたことがありませんでしたが、実際の店舗、そこで働く人たちの姿を見て、寿司職人を目指そうと心に決めたんです」
特別感、高級感のある店構え。そのなかで一流のサービスを提供しているベテランの職人さん。すべてに憧れを抱くと同時に、自分自身の将来の姿を想像したのだそうです。
包丁の使い方などの基本的な技術や、
料理のポイントをまなぶ賄いづくり。
寿司職人への道。その第一歩として入社後にまず、担当したのが洗い場でした。専任の〝洗い場さん〟から指導を受けながら、きれいに、かつ迅速に作業を行う技術を身につけていきます。
「店では、お客さまにご提供する寿司の品質に合わせて、食器なども一流のものを使用しています。そのため、洗う作業にも細心の注意を払う必要があり、繰り返し作業を行うなかでコツをつかんでいきました」
1年目の仕事としてもう一つ、重要な役割があります。それはエンソ、いわゆる賄いをつくることです。すし善では伝統的に、新人の仕事となっているのだそうです。ちなみに、エンソというのは塩・噌を語源とする、寿司店ならではの隠語なのだとか。
「自分で調べたり、先輩に聞たりしながらメニューを決め、原価を計算し、買い物をして賄いをつくるんです。和食、洋食、中華にラーメンなど、一般的な家庭料理が中心ですね」
毎日、毎日、賄いづくりを行うなかで包丁の使い方など基本的なことを身につけていく機会でもあり、先輩から味についてアドバイスをもらうことで、料理のポイントを覚えていく場でもあるのだそうです。
1年目から「つけ場」の補助を担当。
お客さんとの会話の難しさを痛感する。
寿司店のカウンターは〝つけ場〟などと呼ばれます。冷蔵・冷凍技術がなかった時代の寿司は醤油や酢につけていたことが語源ともいわれますが、寿司店の桧舞台ともいえるこの場所に、洗い場や賄いづくりをしながら、本間さんは1年目から立ってきました。
「立っているとはいっても、つけ場の袖にいて先輩の板前さんのてこ(補助)をするという役割です。調理に必要な道具やネタを運んだり、不要なものを下げたりといったことが中心ですが、お客さまを前にする緊張感は大きいですね」
お客さんの前で寿司を握ることはまだありませんが、つけ場に立ち始めると、〝新しい人だね。頑張ってね〟などと、声をかけてくれる常連客も増えていったそうです。
「お客さまには、ほんとうに可愛がっていただいています。少しですが、お話させてもらうこともあり、それはすごく楽しいのですが、会話の難しさも実感しています。話をすること自体は好きですが、知識不足で戸惑うこともあるんです」
料理のこと、お酒のこと、旬のネタのこと。お客さんから訊ねられた時、サッと答えられるようになりたいと本間さん。寿司職人を目指すうえで、学ぶべきことの多さを痛感する日々です。
休日は市場に出向いて魚の勉強も。
将来的に本店を担う職人を目指して。
本間さんは、長年にわたって料理の現場に身を置いてきた父親から、その現場、なかでも和食、そして寿司の分野は厳しい世界であることを聞かされてきたそうです。
「ある意味、それは予想どおりでした。技術の習得は簡単ではなく、指導には厳しさもあります。ただ、ミスをすれば叱られますが、それは成長を促すため。ダメなところをきちんと指摘してもらえるので、改善に結び付けられますし、自分はありがたいと感じています」
休日には、札幌中央卸売市場の場外市場に足を運ぶこともあると話す本間さん。どんな旬の魚が今、入荷しているのか、店で出している魚は、どのようなものなのか。そうしたことが気になって仕方がないのだとか。
「それと今は、つけ場の袖につきながら、先輩の話し方や、おまかせの握りを出す順番、タイミングを見ています。自分が、その場に立った時のシミュレーションのようなことを気がつくとやっていますね」
やがて、大丸店でのデビューを迎えるという本間さん。すすきの店、東京・銀座店などタイプの異なる店舗も経験し、将来的には本店を担う職人になりたいと話します。「負けず嫌いなので」。芯の強さも、言葉の端々から伝わってきました。
シゴトのフカボリ
寿司職人の一日
9:00
出社。魚、薬味などの仕込み
10:00
シャリ切り、後輩の賄いづくりの指導
11:30
開店、つけ場の袖で先輩の補助作業
14:30
昼営業終了、休憩、夜の仕込み
17:30
夜営業開店、つけ場の袖で先輩の補助作業
21:30
閉店。厨房の片付け、ゴミの処理
22:00
帰宅

シゴトのフカボリ
拝見!オシゴトの道具

包丁
寿司職人の片腕ともいえる包丁。入社1年目に賄いづくりに使うぺティナイフを誂えたのに始まり、現在は出刃から柳包丁まで、ひと通りを揃え、大切に使っています。
シゴトのフカボリ
みなさんへ伝えたいこと

技術を身につけ、寿司職人としての成長を目指すには、何ごとにも謙虚に向かっていくことが必要だと思っています。失敗して叱られても、そこから学び決して負けないという気持ちをもって日々、現場に立っています。

株式会社 すし善

札幌の繁華街・すすきので開業しておよそ半世紀になる老舗店。江戸前の技で北海道の味覚を生かした寿司を提供、〝札幌の顔〟とも称される店です。

住所
北海道札幌市中央区北1条西27丁目2-7(本店)
TEL
011-612-0072
URL
https://www.sushizen.co.jp

お仕事データ

「日本文化」を握る職人。
寿司職人
寿司職人とは
おいしい寿司とともに、
「真心」も提供。

日本の食文化の一つである寿司を専門に調理するのが寿司職人の仕事。まずは早朝の魚市場で食材を仕入れることから始まり、店舗では魚介をさばいたり、煮込んだり、寝かせて熟成させたりと下準備を行います。活躍の場は個人経営の寿司店から「回転ずし」に代表されるチェーン店までさまざまです。カウンター越しに寿司を握る姿が見えるようになっていることが多く、寿司職人は立ち居振る舞いにも細心の注意を払わなければなりません。何より、お客様に「おいしい」と言ってもらうために、真心でおもてなしすることが大切です。

寿司職人に向いてる人って?
立ち仕事をこなす体力と、
根気強さが必要。

一般的に寿司職人の仕事は早朝の仕入れから営業終了まで立ち仕事が多く、ある程度の体力が必要です。また、調理のほか、お客様に対して細やかな気配りができ、時には小粋な会話を交わすこともできるコミュニケーション力も求められます。一人前の寿司職人になるためには「飯炊き3年、握り8年」と言われるように、根気強く日々の仕事に取り組める人が向いているでしょう。

寿司職人になるためには

寿司職人になるために特別に必要とされる資格や免許はありません。寿司職人を養成する調理系の学校などで知識や技術を学び、寿司店に就職するルートが一般的です。高校や大学・短大を卒業した後に寿司店の門を叩き、修行を積むという道もあります。就職後は雑用から始め、徐々に技術を身につけていくことが多いでしょう。

ワンポイントアドバイス
海外でのニーズ拡大に伴い、
女性の握り手も増えています。

ここ最近、日本の伝統食が海外でも大人気。寿司職人も、欧米や西欧・アジアなどに活躍の場が広がっています。また、こうしたニーズの拡大に伴って、「男の仕事」というイメージが強かった寿司職人の世界に女性が参入するケースも増加傾向にあります。例えば、女性の寿司職人が日本の伝統を背負って海外で働くなど、ダイナミックな活躍にも期待が高まります。