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増原 虹太さん
インタビュー公開日:2024.03.01

明治時代生まれ、
苫小牧と共に歩んだ「東洋一」の工場
重厚感のあるレンガ造りの工場に、無数に張り巡らされた配管。そのあちこちから蒸気が吹き出ている様子は、まるでスチームパンクの世界に迷い込んだかのようーー。
王子製紙苫小牧工場は1910年(明治43年)に操業開始し、かつては「東洋一」と呼ばれた製紙工場です。今なお新聞紙の製造拠点としては世界トップクラスの規模を誇り、まちの発展にも寄与してきました。
「この建物はもちろん、設備の一部も明治時代のまま、代々の職員たちが点検やメンテナンスをしながら、大切に守り継いできたんです」
そう語るのは、抄紙機(しょうしき)オペレーターとして働く増原虹太さん。がっしりとした腕の示す先には、高さ3階建てほど、奥行き100メートル近くにも及ぶ巨大な機械が轟音を立てています。
「これが、僕ら職員が『マシン』と呼ぶ抄紙機です。時速100キロという猛スピードで一日に300トンもの紙を製造しています。手前側では水に溶かしたパルプを高速で吹き付け、1つ奥の機械で原料をすくい、平らにする。その次は乾燥、塗工と、紙をつくる一連の製造工程の全てをここで行っているんです」
地元・苫小牧への愛着から
まちの象徴である工場へ。
増原さんは苫小牧のご出身。幼い頃からアイスホッケーに夢中になり、王子製紙苫小牧工場の社内チームが母体である王子イーグルス(現・レッドイーグルス北海道。2021年からはクラブチーム化)は憧れの存在でした。中学校卒業後も、アイスホッケー部のある苫小牧工業高校へと進みます。
「選手になりたいという夢も持っていましたが、成績はふるわず、就職や進学を考える時期には『何がしたいだろう』と考えたり、家族や先生と話し合ったりと模索しました。悩んだ末に、自分が工業高校で学んだことを生かして働くには、結局この工場しかないんじゃないかって思ったんです。選手にはなれなくても、選手を支える力にはなれるかもしれないですからね」
増原さんが王子製紙を選んだのには、もう1つの理由がありました。それは愛する苫小牧で、生涯にわたり暮らし続けたいという想いです。
「札幌や東京に出るという考えは全くありませんでした。家族もいて、昔馴染みの友達もたくさんいるこのまちで暮らし続けたかったですし、地元の象徴でもある巨大なこの工場なら、将来も安心して働けるだろうと考えたんです」
複雑な機械を監視・点検し
安全でクリーンな環境を守る。
王子製紙苫小牧工場は約150ヘクタールもの広大な敷地があり、製造工場だけでなく、貯木場や古紙の再生工場、排水の浄水施設、さらに発電所や変電所も有しています。建物の内部もまるで迷路のよう。「入社した時はこの事務所に来るだけでもひと苦労、機械よりもまず地理を覚えることから始まりました」と増原さんは笑います。
「工業高校出身とはいえ、どの機械も見たことがないものばかりですし、工程も複雑ですからすぐに覚えられるものではありません。だから仕事は細かく分担されていて、それぞれの担当箇所は限られているんです」
増原さんのご担当は抄紙機の中でも雑誌や漫画の紙をつくる「9号マシン」と、新聞紙をつくる「11号マシン」の点検作業です。
「先輩や後輩と2人1組になり、マシンと監視用の計器やモニターを行ったり来たりしながら、製造中に異常が発生していないかを確認します。機械の誤作動や異物混入はもちろん、人への安全対策や、排水や廃棄物をチェックするのも重要。特に環境汚染対策は、会社の社会的責任として最大限配慮を行っているので、排水や薬品の取り扱いは厳重そのもの。少しでも疑わしい箇所があれば、たとえ機械を止めてでも確認します」
“点検のプロ”として
一本の道を究めていく。
でき上がった紙は「ロール紙」と呼ばれ、大きなものでは幅約10メートル、約30トンもの重量があります。これをクレーンを使ってつり上げ、台車に載せるまでが増原さんの仕事です。ロール紙はこの後、A判やB判といった規格サイズにカットされていきますが、それは増原さんの後に控える“加工のプロ”が担当する仕事。
「自分も入社して5年になるので、最近はマシンの立ち上げなど、新しい事にも挑戦していますが、先輩達を見ていると『まだまだ先は長いな』なんて感じます。自分では見落としてしまうような点まで気がつきますし、新製品に関する打ち合わせでは『ここはチェックすべきだ』と、“点検のプロ”としての目線で意見ができるんです」
ちなみに勤務は昼勤、前夜勤、夜勤の三交代制ですが、さほど苦労はしていないのだそう。
「世間一般の人とは異なる休み方ですが、一度慣れてしまえばラクなもの。3日通えば1日休みというシフトなので人より休日が訪れるスパンが短いですし、給与の面も大企業だけあって安定しています。自分は今でもアイスホッケーの社会人サークルに所属していますし、夏は同僚、先輩後輩とゴルフなんかも楽しむ余裕もありますよ」
愛する家族、友人と共に
町の工場ともに生きる。
プライベートでは4カ月ほど前にご結婚も果たした増原さん。奥様と出会ったきっかけは、幼馴染みのご友人からのご紹介なのだとか。
「休みの日にみんなでBBQをした時、幼馴染みの一人が連れてきたんです。都会ではBBQもやりにくいでしょうし、友達とも離ればなれになってしまいますから、地元にいて良かったなって、今はしみじみと感じています(笑)」
現在は工場近くの社宅で暮らしてるのだそう。築年数は経っているものの、家賃は3LDKで月1万円ほどと、驚くほどリーズナブルなのが魅力だと言います。
「今はコツコツとお金を貯め、将来は庭付きのマイホームを買って皆でワイワイとBBQをするのが目標です。節約のためにも最近は料理に凝ってます。今日は帰ってからラーメンを作る予定で、昨日から仕込んでました(笑)。自分にとっての贅沢は、昔馴染みの友達や愛する家族とずっと一緒に過ごせること。ただそれだけなんです」
シゴトのフカボリ
抄紙機(しょうしき)オペレーターの一日
6:45
出勤、体操、
事務所で前任者からの引き継ぎ
7:00
現場での引き継ぎ
巡回、チェック、クレーン操作
11:30
現場交代、昼食
12:30
巡回、チェック、筆記仕事
14:45
後任者への引き継ぎ
15:00
退勤
※早番の時のスケジュール
シゴトのフカボリ
みなさんへ伝えたいこと

安全最優先でケガをしないこと。
スポーツと同じで、結果よりも自分の身が第一。少しでも違和感があったら近づかず、一歩立ち止まって考えたり、先輩や仲間に報告したりと慎重に慎重を重ねて行動をしましょう。

シゴトのフカボリ
拝見!オシゴトの道具
懐中電灯
入社時に会社から買い与えられたもの。機械の細部や暗い隙間をチェックするのに欠かせません。

王子製紙株式会社 苫小牧工場

1910年(明治43年)、当時「文化のバロメーター」と呼ばれた新聞用紙を国内で製造する拠点として誕生。「東洋一の製紙工場」と呼ばれ、苫小牧市の発展にも貢献した。近年はグリーンイノベーションや環境政策にも注力している。

住所
北海道苫小牧市王子町2丁目1-1
TEL
0144-32-0111
URL
https://ojipaper-tomakomai.net/

お仕事データ

工場内で製品を生産。
製造工
製造工とは
製品の加工や組み立て、
メンテナンスなどものづくりに携わる仕事。

製造工は家電やパソコン、電子機器といった機械製品から、住宅用資材、紙、プラスチック用品、さらには施設の一部に使われる大型製品まで、多種多彩なものづくりに携わる仕事です。主に工場のライン作業によって各パーツを加工したり、部品を組み立てたり、さまざまな工程を経て一つの製品を完成させます。一方で、繊細な手作業によってものづくりを行う職場も少なくありません。「つくる」だけではなく、製品の最終検査や梱包・出荷、納品後のメンテナンスや修繕を担うこともあります。いずれの作業もものづくりの世界には欠かすことができませんが、未経験者にも門戸を開く企業が多いことからチャレンジしやすい仕事です。

製造工に向いてる人って?
「ものづくりが好き」で、
根気強さと注意深さを持っている人。

製造工には「ものづくりが好き」という気持ちが欠かせません。作業自体は決められたマニュアルやルールに沿うケースが多いことから、同じ作業をコツコツと続けられる根気強さも必要です。また、機械で加工した部品に不良がないかチェックしたり、製品の最終検査をしたりすることもあるため、注意深いタイプの人も向いているでしょう。

製造工なるためには

製造工になるために必要な資格はありません。多くの場合、工業系の高校や専門学校、短大・大学を卒業後、製造工場を持つ会社に就職するのが一般的です。知識やスキルは入社後の教育・研修によって身につけられるため、未経験からでも挑戦しやすい仕事といえるでしょう。職場や手がける製品によっては、後々「フォークリフト」や「玉掛け」などの資格取得をすすめられることがあります。

ワンポイントアドバイス
マルチスキルを持った製造工が
今後のカギを握る存在に!?

これまでの製造工は、一人が一つの持ち場だけを担当するケースが一般的でした。けれど、ここ最近は複数台の機械を操作できたり、多くの作業や工程を担える技術を身につけたり、マルチスキルを習得させる企業が増えているようです。そうすることで皆で仕事を分散して業務量を平準化できる他、チームワークや組織の柔軟性が高まるといわれています。今後はマルチスキルを持った製造工が会社のカギを握りそうです。

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